山本浩輔奮闘記

考えをつらつらと。頭でっかちな学生ですが、自らの意見と日々の行動を記録してます。

何がルノアールを偉大にさせているのか

二日前ルノアール展にいきました。

忘れないうちに書く。

 

やっぱりいい。

まず構図。ダンス躍っているやつとか、ムーランドラギャレットとか人が目を惹かれるポイントをよく考えているのが伝わる。

あと色彩。陰の部分とかを細かく見ると、変な色しているなと思うのだけど、それを広い視野で見ると、何とも言えない他にはない味わいを生み出していることに気付く。

 

唐突だがこの展覧会を見て思うに、普遍性がある表現こそが最もすばらしいものだと思う。

それも「時代を超えた」普遍性。(時代を超えられないのは単なる流行)

普遍性がある=「人間の心理や感覚のマジョリティーを良く分析し、それに正面から対峙してそこに訴えかけることに成功した。」ということ。

そのためには、本当に良く良くどのような表現をするべきかについて考えなければならない。

奇をてらった表現や、時代のニーズにこびて受けを狙った表現は、そのときもてはやされても、表現者と全く関係のない後世の人間(つまり冷徹にその表現を評価する者)は「何が面白いのかが理解出来ない」となって忘れ去られ、切り捨てられる。
皆自分たちの時代のものを見るのに忙しく、よほど素晴らしいものでないかぎり、昔のものを振り返る余裕はないのだ。

 

ルノアールはもうその作品が創られてから百年以上たつのに、未だに人々を魅了している。

 

しかし彼は「完全に」オーソドックスであったわけではない。

まるでスポットライトがあたっているかのように綺麗に光が当たっているところは明るく、当たっていない所は暗く、という伝統的な技法ではなく、
(少し乱暴な言い方をすると)実際の世の中の光の当たり方をピントがあわないような「印象チック」に描く、ということにチャレンジしている。

つまり「普通ではない」のだ。

 

一方で異端になり過ぎてもいない。

印象派の限界を感じ、自分の表現を模索し続けた、と説明に書いてあった。

つまり「方法」ではなく、自分の目指す「価値観」に忠実だった。

そしてその「価値観」は、昨今までつづく人気を鑑みると、かなりオーソドックスだったのではないかと思うのである。(例えばキリコとか、マグリットとかと比べるとね。主観的に。)

 

つまり時代を超える普遍性には「オーソドックスであり、しかしありきたりではないもの」という非常に高度なバランス感覚が求められるのではないか。そしてそのバランスを実現することこそが知恵であり、それを実現出来た人間が少ないからこそ天才と呼ばれるのかもしれない。

 

何かとりとめないけど、結論として時代を超えて普遍的なものこそ人間の知恵が詰まっているのではないか、と思った次第です。

もっとうまく言い方をまとめられたらいいんだけどね。

 

あと今日甲府に行ってきました。帰りの電車で書き始めたんだけど、少し力み過ぎて字数が多くなりそう。

(誰も読んでないかもしれないから、謝ることは意味ないかもしれないけど)すんません。あと堅い話が続いてごめん笑